01.27.2023 

ひとりを楽しむ

 

 

2020-2022の2年間で世界は随分と様変わりした。

きっと後世から見れば戦争にも匹敵するほどの変わりようだった。と評価されるかもしれない。いや、この先も世界は大きく様変わりし、その変わる速度はますます加速してゆき、価値観の相克が起こってくるのかも知れない。

 

今日は「価値観の相克」と「ひとりを楽しむ」について今年最初のブログを書きたいと思う。

 

昭和の時代、サザエさんやドリフ。ひょうきん族にザ・ベストテン。これらを毎週お茶の間にあるTVで、家族で観て過ごした人は多い。今と昭和とで何が大きく変わったかというと、昔はみんなが家族でTVを観ていた時代、今はそうではない。ここに、実はとても大きな違いがあると僕は思っている。昭和の時代、番組を見た翌日、社会現象のようにみんなが共通の話題としてその番組の内容について語り合うことが出来た。ドリフのカトちゃんケンちゃんの髭ダンス。ひょうきん族の「祈りなさい」ザ・ベストテンの「今週の第一位は」。そんな話題の中から老若男女が自分に合ったトピックスを選び、放送の翌日、友人とのコミュニケーションの際の一つの話題としてそれらについて語り合ったりした。共通の価値をみなが持つためにマスメディアはその役目を担い、広く大衆に向けて面白いコンテンツを届けていた。その後、インターネットの出現によって世の中は一変した。もはやマスを対象にしたTVを常に観る視聴者は壊滅的に減り、Netflix、Unext、ディズニーチャンネル、apple TVといった独自のコンテンツ満載のチャンネルを観たりYouTubeやTikTokのような動画サイトを各々が楽しみ、インスタやフェイスブックを観て過ごすようになった。

 

広く大衆に向けた共通の話題。これを提供していたのが昭和時代のメディアだったし大衆もそこに参加していたので価値観は概ね全ての国民の間で共通、共有していた。「日本人は単一民族だから価値観はほぼ同じ」という事を当時言っていたが、実は観ているものが同じだったから価値観が同じだったわけだ。つまり「価値観の相生(そうせい)」がそこにあった。

 

SNSの発達によって変わったことは、もはや共通の価値を国民全てが共有しない。出来ない事態に至った。ということが最大関心ごとなのかと僕は思っている。TikTokで10億回再生されている動画も、TikTokを観ない人にとっては全く無関心なトピックスであり続ける。

逆に言えば、共通のメディア、共通の趣味を通じて価値が同じ人たちが知り合うことが容易にできる時代になったため、マイノリティと呼べる小さな集団の中に「価値観の相生(そうせい)」が生まれるようになった。そこには性別、国籍、人種、年齢を問わず、共通の価値と共感によって集まる人たちが小集団を形成する。その内部には昭和の時代のような共通の話題で盛り上がり笑い、喜ぶ事があの頃と変わらないように行われている。

 

SNSの発展によって、共通の価値を共有することはもはや同じ日本人同士でも叶わなくなり、個々人が個々人の好みに応じた世界観で暮らすようになった。

「昭和の時代は良かった」という事を耳にするが、もはやそのような全体が同じ思考なり趣向で動くことは起こり得ず、マスを対象にしたビジネスは非常に成立し辛く、この先の未来は、ニッチな市場、細分化された市場の拡大と共に、価値の違いは益々広がりを見せて、同じ国民であっても、そこにかつて作られた価値の相生は起こらず、価値の相克が益々広がるように思う。

 

そこで ひとりを楽しむ。になってくる。

 

きっと、ひとりを楽しんでいると、共通の価値を持つ人がそこに現れてくる。例えば「ソロキャンプ」例えば「ロードバイク」例えば「オートバイ」例えば「舟釣り」例えば「音楽」例えば「旅」例えば「ファッション」例えば..............。

共通の趣味に共鳴する人たちが知らず知らずのうちに近い関係になり、希薄な関係であればインスタ・フェイスブックなどでつながり、濃厚な関係であれば倶楽部や趣味の会といったグループを形成するに至る。いわゆるオフ会が行われるようになる。ひとりを楽しみつつ、共通の価値観を持つもの同士が集まって過ごすことで、昭和の時代のような価値の相生による喜びを享受することが再び可能になる。しかも性別、国籍、人種、年齢を問わず、ダイバーシティな集まりがそこに出来る。

 

時代の中で、いろいろな物が減少している。物が売れない。これは売上の減少。少子化。これは人口の減少。給料は上がらないが物価が上がる。これも可処分所得の減少。未来が見えない。これは希望の減少。そんな減少一色の日本でソロキャンパーは増え、ロードバイク人口は増え、オートバイの販売台数は増え、海外から入国するインバウンドの数は増え続けている。

 

増えている現象の裏にあるものは、皆ひとりを楽しんでいる。

 

それらの現象を考えると、この先の未来にあるものは、日本人同士において過去に存在した共通の価値観は時と共に薄れて行き、いずれ壊れてなくなり、小さなコミュニティーの中に共有の価値は生まれ、時間と共に育って行き、それぞれのコミュニティー間の価値はもはや同一のものではないために価値の相克は必然的に生じる。ということだと思う。その時に大切なことは別のコミュニティーが持つ価値を認め合う。という事に尽きると思う。そして同時に自分の価値を押し付けない。という事が最も大切な事になってくると思う。「なになにであって当たり前」「常識ではこうだろう」。このような、一見正しく聞こえる過去にあった価値基準を振り回す事は、ただただ同調圧力という息苦しさを増長させるだけのものになる。今の世の中「マスクをしろ」「マスクを外した後は黙って飯を食え。しゃべるな」といった批判は、すべての人が共通して持っている(だろう)と思われる社会常識(と思っているもの)の幻想に過ぎない。それを正義と思い定めて振りかざす人は、この価値の相克によってもはや共通の価値観を国民すべてが持ち得ないという事にまだ気がついていない昭和の人である場合が多い。「タバコを吸うな」「エコを意識しろ」「温暖化・環境問題への配慮が足りない」ここにも同じように、そこには絶対の正義があるとしている人たちは、すべての人がこの事を共通の価値有り。として認識しているのだから故にそれは常識だ。と勘違いをして同調圧力をかけてくる。

 

僕は思う。今後の未来は、ますますひとりを楽しみ、自分と同じ価値を有する人と出会い、情報交換を行い、自由に楽しく暮らす事を考え、余人の持つ価値については寛容性を持ち、各々が生きやすい、過ごしやすいように、自分の好きな世界を見つけ、そこを深掘りして過ごす事が最も幸せな人生になってくると思う。世の中はメディアの影響によって、価値の相生から価値の相克へと大きく変わった。それがここ2年間、引きこもり生活などを経験した後一気に加速度的に起こった変化だと僕は思っている。この変化したベクトルはもはや元へは戻らない。小さな一つのコミュニティーの間に咲く価値の相生。ここにたどり着いたら人生は安らぐことができると思う。そのためには、ひとりを楽しむ何か。をそれぞれが持つ必要がある。

 

でも、それは自分で見つけないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

03.16.2022

 

昔はよかった。

 

人は歳をとると「昔はよかった」と言い始める。昔の人の口から、その言葉が漏れたら若者はその場から遠ざかっていく。

そのような「よかった昔」は、もはやどこにも存在せず、ましてや過去にあったとしても、その過去に参加することなどできない若い者にとっては全く意味をなさないからだ。

 

僕は生きていて、常に今が最高。と言う気持ちでいる。別にこれはやせ我慢でも何でもなく、本当にいつも今が最高なので自分自身においては「昔もよかった」はあっても「昔はよかった」はあり得ないと言える。

 

個人的には常々そうだが、社会や社会現象において「昔はよかった」というのは実際にはある。

 

話はアングラの話だ。

今や、タバコは悪以外何者でもない時代になった。昔はアチコッチで昼間の蛍のように煙草の灯は灯っていたけどもはや、それは過去の話になった。

例えば、70-80年代の渋谷や新宿。ここではミュージックバーのような場所があり、DJがロックの名曲レコード盤を選び、爆音でJBLのスピーカーから流したりする。室内はパープルヘイズ(煙草の煙)が漂い、昼間からロックグラスにはウィスキーが注がれ、ロックが作るロックな空間をロックな魂で聴いていた。

ロックや音楽というカルチャーに導かれた若者達が、不健全な場所で、全身を耳にして音楽の作る世界に入り込んでいた。ディープ パープル、ドアーズ、ドゥービー Bro.、ジミヘン。そんな音楽を聴きながら明日のスターを夢見る忌野清志郎がそんなミュージックバーを訪れていた。 昔存在したあの頃のようなスノッブな溜まり場は今の東京にもあるのだろうか? 化粧をした男達。アフロヘアー、ワンレングスの男達。アンダーグラウンドな場所でアングラ スタイルをした連中が、ただ日本には無い新しくて、何か面白い物を吸い込むだけ吸い込んで、何とかして吐き出そうとしていた場所。そんな場所から永遠に朽ちない物は生まれてきたが、まさにあの時代は良い時代だった。と言える。

 

今、世の中に生まれてくる物は作った人の心の叫び声から出来上がった物ではなく、全て誰かのための物であり、誰かに届けるために実に精巧に、巧妙にアレンジャーによって加工されて生まれてくる。  だから心に響かないし、長持ちしない。

その時代の、その場面の、その時に求められる物というのは実に短命である。しかし、欠点のように見えるその寿命の短さも、実は市場にとっては歓迎されることでもある。市場は次の新製品を産み落とし、流通させるためには前のムーブメントが終了してくれている方が良いのだ。それによって次の新しいムーブメントは市場から歓迎される

 

アングラの良さは“始まりはいつもマイノリティ。”ということに尽きる。いきなりマジョリティとなり利益が生まれてくる物はアングラには無い。

また、そのような拡散方法を取らない。これもアングラ文化と言える。 SNSで拡散される本物のアングラなどあり得ない。大衆とは、アングラで静かに始まった物が少しづつ社会的に認識され、認知され、そして食べやすくなった時に気が付くもので、その胎動や初動を肌で感じて「これは素晴らしい!」とはならないのである。アヴァンギャルドが理解されるには時間が必要で、その後アヴァンギャルドがキッチュに包まれ、食べやすい形に変貌した頃にようやく大衆からは受け入れられる。大衆の胃袋はアヴァンギャルドをアヴァンギャルドの状態のまま消化するほどにはできていないのだ。

 

「昔はよかった」

 

確かに昔良かった物は多い。 でもそれらは無くなったとは言え、失った訳では無い。

誰かが、アヴァンギャルドの大切さを理解している人達が、再び作り直してくれれば、また産まれてくるに違いない。

金と女に目が眩んだ者ではなく、音楽と音楽が作り出す文化に痺れた誰かが。

 

 

 

 

 

 

 

 

J A P A N D I

 

ジャパンディ。 JAPANESE + SCANDINAVIANをハイブリッドにした新語。

 

インテリア・美術・文化の世界を俯瞰すると、様々な文化圏に生じたアイコニックな意匠を自らの文化に取り入れると面白い。

という風潮が随分と昔に興り、世界のアチコチで花開いた。例えばパリのアート。

モディリアーニやピカソが描くOIL PAINTがどこかアフリカの民芸に近づいて行ったり、ゴッホが描く絵のモチーフが広重(日本)だったり。

世界が交流を始め、ロンドンやパリで行われた万博を機に、展示会や展覧会によって世界の珍しい物が開陳され、否応無しにそれらの影響を受けた事で自国にあったトラディショナルな文化とは別にハイブリッドな文化が生まれた。

 

そんな時代の趨勢を経て、インテリアの世界にも異文化交流が興った。モチーフはフランスのプロバンススタイルだったり、イギリスのアンティーク、東南アジアの民芸、アメリカのブルックリンスタイル、西海岸スタイル、サンタフェスタイル、北欧のスカンジナビアンスタイル、ドイツのバウハウス 様式。挙げれば快挙にいとまが無い。そんな狭くなった世界が、昨今COVID-19に迷走しながらも2020年前後に辿り着いたのがJAPANDIと呼ばれるスタイルだった。

JAPANDIは日本の文化に底通するミニマルさと、北欧の生活にあるシンプルでロングライフなデザインとの良い所合わせのハイブリッドな物を指す。

日本文化を象徴する「アイコニックさ」を言葉に集約すれば、「禅」と「侘び寂び」となり、北欧の場合これが「HYGGE(ヒュッゲ)となる。

デザインはミニマルでシンプル。そして上質な天然素材で出来ていて、しかもクラフトマンシップなハンドメイド製品。長時間、その空間にいても飽きが来ない意匠性と配色。クラフトマンやハンドメイドと言うキーワードが出てくれば、本来であれば、ここでIKEAと無印良品は脱落しそうだが、彼らはJAPANDIの選抜選手のような扱いを海外では受けている。

 

この先の未来、SDG'sを目標に立てた世界は2030年に向かって、益々IoT化し、EV化し、AI化してくる。

車は電動カーに相応しいデザインを身に纏うであろうし時計も、もはやロレックスではなくアップルウォッチへと価値が変わる。家電や家具も今のままのデザインで良い訳はなく、ファッションの価値観も根底から変わる恐れがある。ルイ・ヴィトンのバッグよりも高価なアウトドアブランドのバッグの方が気になるのは、昨今の流れの中ですごくもっともな事だとも思う。

 

そうすると人々の暮らしは一体どのように変化するのだろうか?この事は僕の中でも数年前からいつも最大の感心事となっていた。

そこで僕は答えを見つけに今から5年前の2017年に北欧へと向かった。

 

続く。

 

 

 

 

J A P A N D I その2

 

2017年のコペンハーゲン(デンマーク)にあるデンマークデザインミュージアムで「Learning from Japan」という催し物が開催されていた。

始まりは2015年10月8日〜。かなりのロングランでこの企画展は催されていた。展示室には柳宗理はもとより江戸時代の武士階級、商人階級が使用していた物、ジャパンをモチーフにした様々な物が展示してあった。まだ世間がJapandiと言う造語を持つ夜明け前だった。

 

僕は成田から北欧へ飛び、ヘルシンキ(フィンランド)から船でストックホルム(スェーデン)へ渡り、コペンへーゲンへは電車を使って渡ってきた。

既に旅に出て10日以上が経ち、北欧の空気を思い切り吸い込んだ後、コペンハーゲンには上陸した。ヘルシンキではアルバ・アアルトの自宅やアトリエ、artekのお店も見て周り、日の出から日の入りまでくまなく町中を歩いた。ストックホルムでは夜の街へ繰り出しジャズライブも見ることができた。足が棒になる程あちこちを歩き回り、北欧の街やプロダクト製品の中に日本的要素を嗅ぎ分けることができた。その後で訪れたコペンハーゲンではデンマークデザインミュージアムのみならずルイジアナミュージアム、ルイスポールセン本社、他にも様々な場所を訪れた。北欧の北欧たる場所、例えばコペンハーゲンのニューハウン。カラーフルな建物が運河沿いに並ぶ光景、アマンリエンボー宮殿、そしてストックホルムの名所ガムラ・スタンと言った場所は僕にとって正直言って全く面白くなかった。そこにあるのは北欧のトラディショナルだったからに違いない。それよりも北欧のトラディショナルに日本文化が混ざり合ったようなインテリアや家具と言った空間に心が惹かれた。スペースコペンハーゲンがデザインしたレストラン108などは、かなり楽しかった。

総括するとJapandiとは、既に彼らが日本から吸収した事を、彼らのフィルターを通して濾過し、形骸化させた物の事では無いか。僕はその様に感じた。

そうなるともはや照明器具はルイス・ポールセンかartek。スピーカーはバングアンドオルフセン。椅子はトーネットチェアかY チェア(H.J.ウエグナー)以外にないじゃ無いか!と直感的に思った。そうして帰国した後、僕はルイス・ポールセンの照明とバングアンドオルフセンのスピーカーを手に入れ、翌年2018年にはウィーンからトーネットの本拠地があったビストリッツエへと向かった。

 

続く。